明治時代や大正時代に撮られた日本人の古い写真を見ると、二十歳に満たない若者であっても、自立した大人びた顔をしていて、今とのギャップに驚かされる。内面的な成熟が顔に出ているのだ。服装を見ると着物姿で、決して豊かな感じはしないものの、清潔感があり、知性と誇り高さを感じる。日本の今と当時との、この差はいったいなんだろうと愕然とする。日本人の装いが急激に変わったのは、洋装がはじまった明治時代ではなく、戦後からだと私は思う。ジーンズやTシャツ、スニーカーのようなアメリカ文化が輸入され、カジュアルな服でどこへ行ってもいいという風潮が蔓延して、ついには日本人のファッション観は一八〇度転回したのである。それまではかなり貧乏をしていても、ここぞ、というときに着ていく服、どこへ行っても恥ずかしくない服「一張羅」を大人なら誰でも持っていた。昔は小さな街にも必ず一軒はあった仕立屋で、自分の寸法に合った背広やワイシャツを無理してでも誂え、大事な会合や目上の人に会うときには、必ずそれを着ていった。その「根」にあったものは、見栄や気どりではなかったと思う。祖父や父の時代には、誰かのために装うのが当たり前だった。ところが戦後、自由平等の名のもとに、誰かのためにではなく、自分のために着る時代がやってくる。自己表現のために服を着るようになって、日本は子供ばかりになった。ファッショナブルだけれど、子供じみた装い。流行を追いかけて奔走する日々……。アメリカのせいにするつもりは、まったくない。日本人がまったく違うアメリカ文化を、自分に都合よく吸収してしまったのだ。日本の男が誰かのために着ていく服である一張羅を仕立てなくなったそのときから、自己表現をすることがファッションとして大手を振るようになったのである。装うことに関して大人である条件とは、かつての一張羅に象徴されるように、体にぴったり合ったサイズのコンサバティブ(保守的)なスーツやシャツを数少なくても何着か持っていて、それを誰かのために有効活用する機会があるか否か、である。大人の装いを実践できる男は、例外なく成熟した顔をしている。
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